私が人権・同和教育から学んだこと
平成27年10月23日


 皆さん、こんばんは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。
 今年は先ほど教育長がご挨拶の中で触れられましたように、「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。したがって、審議会はこれを未解決に放置することは断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。」と宣言した「同和対策審議会」が、当時の佐藤栄作総理大臣に答申を提出して50年という節目の年に当たります。このようなときに、皆さんと人権問題について考えることができますことを光栄に思います。
 私は、長年教員として、社会教育主事として同和問題をはじめ人権問題について学んできました。この間、いろんな方との出会いがありました。また、益城中央小学校校長であった時、益城町教育委員会社会教育指導員をさせてもらっていた時、本集会所での料理教室などの席で人権同和問題について勉強させていただきました。本日は、このような経験を通して人権・同和問題について学んだことをを中心に約40分間、私の人権同和問題についての思いを話したいと思います。どうかおつきあいください。
 ところで、私の名前はここに示してあります「中川有紀」と書いて、「中川ありとし」と読みます。どなたからも「ありとし」と読んでもらったことはありません。
 御船町の七滝小学校へ校長として赴任した時のことです。その時、女性の教頭先生と一緒に赴任しました。入学式の前日、校門から玄関までの樹木を剪定している時、地域の方がおいでました。「校長先生はいらっしゃいますか?」と私に聞かれます。「校長の中川です。どのようなご用でしょうか?」と尋ねますと、びっくりした表情で、「今年は女性の校長先生と聞いていました。男性の校長先生ですか」とおっしゃいました。地域では、新聞の異動一覧をご覧になり、「今年は、校長も教頭も女の先生バイ」と話題になっていたそうです。
 ほとんどの方が「ゆき」または「ゆうき」と読まれ、女性と間違われる名前ですが、私はこの名前が大好きです。「有」に「保」という字を加えると、「保有」という熟語ができます。「有」は「保つ」という意味があります。「紀」は「21世紀」とつかうように「年」という意味があります。このことから父は、「年を重ねる毎にその年に相応しい人になるように」との思いを込めて名付けたといつも話していました。このようなすばらしい名前を付けてくれた父を心から敬愛しています。
 私は、昭和18年、農家の長男として生まれました。当時は、農家の長男は、農家の跡取りをするのが当たり前と誰もが思っていました。そのような時代に父は、「有紀、家のことは心配せんでよか。お前の好きな道を歩め」と言っていました。父を敬愛しています。その父に1度だけ強く抗議したことがあります。
 私が結婚を意識し始めた頃、昭和44年のことですが、私が結婚しようと思っている人がどこでどのように育ったかなどを聞いていたことを知ったからです。「生涯、共に暮らすに相応しい人」と私が決めていた女性(今の連れ合いです)と私の尊厳と人権を侵された思いで、憤りに震えながら父に強く抗議しました。当時、私は同和教育という言葉は知りませんでしたが、これが私と同和問題との出会いでした。

 私は昭和42年に教員となりました。
 ある学校では、子どもたちから「中川先生は、人をいじめたり、差別することが一番好かっさん」と言われていました。この言葉は私の誇りです。私は、教諭時代、担任している子どもが病気で欠席すると、必ずその日のうちに家庭訪問していました。今はできないことですが、当時は、給食の「パン」や「デザート」、「果物」などを持って行っていました。クラスの子達は、「先生、○○ちゃんへのお土産」と言って給食のデザートなどを私の机に置いていました。また、「先生、僕が欠席したときも来るね?」と言ってくる子もいました。「誰が欠席しても行く。そして、気分がよいなら一緒に勉強する」と言っていました。このようなことをしていましたので、ぜんそく気味の子や病気がちな子の家には、数十回家庭訪問していました。夕食をごちそうになって帰ることも度々でした。ある年の冬、インフルエンザで3日間の学級閉鎖がありました。クラス全員の様子を見て回りました。一人の子のお母さんが、「先生なら分かるど?私が豊臣秀吉はいっちょん好かんて言うこつば!」と言って自分のことを淡々と話されました。同和問題のおかしさ、厳しさ、理不尽さを学びました。そして、このようなことは絶対あってはならないことだと強く思いました。

 上益城教育事務所と県社会教育課で社会教育主事として働きました。
 同和問題研修会で、地区出身の若者の話を聞きました。
  私は地区出身です。私のどこが皆さんと違いますか。
  違うという人がいたらどこが違うか教えてください。
  皆さんと違うのは、生まれた場所が部落ということだけです。
  皆さんと同じように明るく生きたい。
  皆さんと同じように恋もしたい。結婚もしたい。
  皆さんと同じように幸せな家庭もつくりたい。
 私はこのような願いをどれだけ知ろうとしていたか。人ごととしてながめてはいなかったか。「同和問題を自分のこととして受け止め、考えていく」と強く思いました。
 同和教育推進教員をしていた先生から、「同和問題は魂で聞き、魂で受け止め、魂で考えること」と教わりました。同和教育は、知識として受け止めるのではなく自分の生き方として学び、自分にできることを実践することだと言うことをこの先生から教えていただきました。
 ある研修会で、「あたたちは、酒飲んで夜遅くタクシーで帰るとき、どこで降りるな?家の前で降りるど。高校生がバス通学する。家の近くのバス停ではなく一つ先のバス停で乗り降りするとばい。わしたちゃ雨の降ろうが雪の降ろうが一つ手前か先の停留所で乗り降りするとばい。なしかわかるな。」と訴えられました。「家の近くのバス停を利用できない人がいる」など考えたこともありませんでした。私には当たり前のことが当たり前でない人がいることを知ったときは、衝撃でした。こんなおかしさはなくしていかねばならないと強く思いました。
 ある支部長さんからもたくさんのことを学びました。支部長さんは、「中川さん、あたはわしが大声で言うけん怒りよって思いよるど?わしが大声で言うとはな、わし達が受けてきた差別の苦しみ、きつさ、不合理さば子や孫に味あわせようなか。早よう同和問題ばなくして欲しかけん、大声で頼みよっとたい。あたたち、行政の人に頼まにゃこの問題は解決せん!」といつも話されました。この支部長の話がずっと心に焼き付いています。校長の時も、退職した後もこの言葉をいつも胸に、人権同和問題解決のために私には何ができるかを考えてきました。

 私は、御船町の七滝小学校、甲佐町の甲佐小学校、そして益城中央小学校の3校で校長として「人権尊重」と「生涯学習」の視点から学校経営に当たってまいりました。
学校経営の中で人権教育を進める上で重視してきたことは、同和問題をはじめあらゆる人権問題に関する基本的認識を確立すること、人権教育の日常化、そして保護者や地域の理解を得る人権教育の推進、この3点です。
 学校の先生方や行政職員の方は人権同和教育の啓発者だと思っています。そのためには、同和問題をはじめあらゆる人権問題に関する基本的認識の確立を図ることです。
 七滝小学校や甲佐小学校では、「同和教育は、特別の教育ではない。人権尊重の精神をあらゆる教育活動の根底に据えて教育活動を展開すること」と先生方には強く言っていました。つまり人権教育の日常化です。
 益城中央小学校時代は、「部落差別の現実に学ぶ」機会として、本日の月見交流会に先生方も参加していました。豚舎見学もしました。養豚の喜び、悲しみ、生きがいなどを聞きました。その中で、育て上げた豚を肉用として出荷するとき、豚がなかなか車に乗らず家族で涙を流しながら豚の尻を押し車に積み込むや、「お前の命をいただいて人々が命を育んでいる。ありがとう」と心に言い聞かせながら出荷するなどの話を聞くことができました。栄養士は給食週間の講話では必ずこのことを話していました。
 また、月に一度の料理教室ではたくさんのことを学びました。和やかな雰囲気の中で皆さんが調理された料理に舌鼓を打ちました。会食後、当時の同和教育推進教員の先生がミニ講話をしていました。あるとき、「バカチョンカメラ」の差別性を話しました。韓国に旅行に行った日本人が、記念写真を撮ろうと側にいた韓国人に、「写してもらえませんか」とカメラを渡しました。日本人がポーズをとっていると、韓国人が「シャッターはどこですか?」と尋ねます。日本人は、「これはバカチョンカメラですからここを押すだけでいいです」と応え、ポーズをとっています。この言葉を聞いた韓国人は、怒りで体を震わせてなかなかシャッターを押すことができなかったという話をしました。皆さん、ご存じのように「バカチョンカメラ」とは「バカ」でも「チョン」でも撮すことができるという意味ですね。この「チョン」は韓国人に対する差別語です。この日本人はこのことを知らなかったのです。差別する気持ちはなくとも、自分の言葉が韓国人を差別しているのです。だから、韓国人は怒りに体が震えてシャッターを押すことができなかったのです。このことを聞いた方が、「なんぎなしに言う言葉が相手を傷つけることがあるんですね。わたしや、ここに来ると、こぎゃんこつば習うことのできるけん来っとたい。今まで知らんだったことがよーわかるようになった。私ぁ、こぎゃんことば聞くことができるけんこの料理教室が楽しみたい」とおっしゃいました。
 益城中央小学校では、一人一人を大切にする教育を進めていました。その一つが入学してくる子どもたちの家庭訪問です。この家庭訪問を終えて学校に帰ってきたある先生が、「こんなに一人一人を大切にした教育を進めていただく益城中央小学校に子どもを入学させることができるのは子どもも親もうれしい限りです」とある保護者がおっしゃいましたと満面の笑みを持って私に報告しました。これは、益城中央小学校の誇りでした。
 また、登校班でいじめ問題が生じたとき、いじめられた子のおじいさんが「このいじめは誰かが悪いのではなか。わしの孫に『いじめんで』といじめをはね返す力がなかったこと。いじめた子に弱いものをいじめるのは愚かなことだと気づく力がなかったこと。周りの子に弱いものをいじめるのはやめようとやめさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけんいじめが起きた。みんなでこの3つの力ばつけさせようじゃなかな」とおっしゃいました。この3つの力は、差別をなくす力です。「学校あげてこの3つの力をつけさせよう」を合い言葉に人権教育を進めてきました。
 同対審答申は「同和地区住民に就職と教育の機会均等を完全に保障し、近代的な主要産業の生産過程に導入することにより生活の安定と地位の向上を図ることが、同和問題解決の中心的課題である。」と述べています。就労保障は進路保障、進路保障は学力保障です。同和教育の総和は学力保障です。学力保障は学力充実です。このことから、これまで同和教育が校内研究のテーマであったのを教科指導の工夫改善の研究へと改めました。そして、学び方の定着、生涯にわたって学ぶ意欲の醸成、基礎・基本の定着、自尊感情の醸成を主眼に校内研究を進めてきました。先生方との合い言葉は「子どもがわかる授業、子どもが輝く授業の創造」でした。そこで、指導案には、「人権教育の視点」を明記してもらいました。
 保護者や地域の人々の理解を得る人権教育を推進しました。PTAの人権学習では、外部から招いた講師の話を聞く学習ではなく、職員が講師となって参加型人権問題学習会を開きました。笑い声有り、涙声有りの研修会でした。「子どもの悪かところは直ぐに浮かぶのによかところを聞かれるとなかなか浮かびません」、「飲み方があって私が2次会に行って帰りが遅くなると家族みんなからワイワイ言われます。連れあいが遅く帰ってもそれが当たり前のように思っています。今度生まれ変わることができたら男に生まれたいです」、「今日学習参観に来るとき、今日は何の日か意識しないで来ました。結婚式、葬式というと今日はどぎゃん日だろうかとふと思います。おかしかですね」、「同和教育の学習ということだったから出席しょうかどうしようか迷ったけど参加してよかったです。いろいろ考えました」などの声をたくさん聞いていました。

 平成16年4月、退職と同時に益城町社会教育指導員として益城町の生涯学習の推進に関わらせていただきました。先ほども料理教室の試食会について話しましたが、皆さんが調理された料理を試食するのが楽しみでした。もちろん料理もおいしいですが、試食の後の人権に関するミニ講話、話し合いがとても和やかで温かみのあるものでした。ときには、会員の方が家で作られた「ほしごるまめ」などを持ってきていらっしゃいました。これは小さい頃よく食べていたものですから昔を思い出しとてもおいしくいただきました。
 集会所の壁面にたくさんの作品が掲示してありますが、識字教室で学ばれた方の書です。ある方が、「鎌や鍬しか握ったことのなか私が筆を手にして字ば書いています。先生方のおかげでちっとばかり字ば書けるようになりました」とにこやかに話されました。熱心に取り組まれた成果がこの書に表れています。

 今、学校では、「人権教育指導法の在り方について第3次取りまとめ」に沿った人権教育が進められています。以前から、知識止まりの人権教育ではなく実践化へつなげる人権教育はよく指摘はされていたのですが、この第3次とりまとめは行動化を明記しています。私は、現在、県内の教育委員会や学校、PTAなどから依頼があり、時々人権問題について話をさせてもらっています。このとき強調しますのは自分にできることをできる範囲で行動に移すことです。一人一人が行動に移さねば人権問題は解決しません。
 平成26年に実施された「人権に関する熊本県民意識調査」結果が、今年の3月発表されました。同和問題について見てみますと、
 問16「かりに、あなたのお子さんの結婚しようとする相手が、同和地区(歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域をいう。以下同じ。)と呼ばれる地域の人であるとわかった場合、どうしますか。」
の問に対して、
 「子どもの意志を尊重する。親が口だしすべきことではない」と回答した人が62.5%
 「親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない」と回答した人が30%
 「家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない」と回答した人が4.1%
 「絶対に結婚を認めない」と回答した人が3.4%
です。
 「子どもの意志を尊重する。親が口だしすべきことではない」と回答した人が約63%いるのは、これまでの人権同和教育の成果だと思います。「親としては反対するが、子どもの意志が強ければ認める」と回答した人が30%です。この回答者が「子どもの意思を尊重する」へと変容して欲しいと願います。課題は、「家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない」「絶対に結婚を認めない」と回答した人を合わせると、7.5%、約8%の人が結婚を認めないと回答していることです。
 今度は、本人に尋ねた結果です。
 問17「かりに、あなたが、同和地区の人と恋愛し、結婚しようとしたとき、親や親戚から強い反対を受けたら、どうしますか。」
の問に対して、
 「親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する」と回答した人が54.5%
 「自分の意志を貫いて結婚する」と回答した人が26.7%
 「家族や親戚の反対があれば結婚しない」と回答した人が15.2%
 「絶対に結婚しない」が3.6%
です。
 約55%の人が「親を説得して結婚する」と答えています。「自分の意志を貫い
て結婚する」と合わせると、約81%の人が結婚すると回答しています。これも人権同和教育の成果です。しかし、「反対があれば結婚しない」が約19%というのは人権同和教育の課題です。
 あらゆる学校で、あらゆる地域で、人権同和問題について教育・啓発が行われています。しかし、結婚しようと思っている当人達の約2割が同和問題に対する誤った理解をしているということ、このことを私たちは厳粛に受け止めねばならないと思います。
 私は、指導力のある先生がすばらしい教材を使って人権同和教育を進めても、子どもたちの心にこのことを受け入れる素地が育っていなければ授業は上滑りすると思います。一人一人の子どもたちの心に感性、人権感覚が育っていなければ人権教育は成り立たないと思います。日頃から感動する体験、私はこれを情動体験と呼んでいますが、心を揺り動かす体験を数多く積み重ね、豊かな感性を育んでいくことが人権同和教育のスタートであると思います。
 益城町生涯学習課では、毎年人権啓発資料を購入しています。その中に「私の中の差別意識」と題した啓発DVDがあります。この中に登場する人が「この社会で、差別心を持たないで育つ人なんかまず皆無だろうと思いますよ。自分を差別しない人間だと思ったら、学習は成立しない。僕らは差別する、そういう人間だと、自分自身に向き合うことが大切です。」と言っています。私もそう思います。私の心の中には、差別心がたくさんあります。その差別心をこうして皆さんと一緒に人権問題を考えることを通して一つ一つ取り除く努力をしています。
 皆さん、次の短い話を聞いて考えてみてください。
 親子連れが交通事故に遭いました。。父親は大型トラックにひかれて即死しました。子どもは救急病院へ搬送されました。搬送された子どもを見て外科医は大声で叫びました。「この子は息子、私の息子」と。
 この話。胸にストンと落ちましたか。30年ほど前、私がこの話を始めて聞いたとき、どうしても胸に落ちませんでした。先日、本渡市の老人大学で考えてもらいました。皆さんは30年前の私と同じで、なかなか胸に落ちませんでした。ある方が、「外科医はもしかしたらお母さんかも知れない」と呟かれました。それを契機に、「そうか、わし達は外科医は男とばかり思い込んでいたので胸に落ちんだった。女性、お母さんだったら胸に落ちますね」と。
 私たちの心の中には、案外この思い込みが多いと思います。この思い込みが「ものを見る目」を鈍らせます。思い込みが偏見を生みます。
 同じように知らないことも「ものを見る目」を曇らせます。
 「無知は偏見を生み、偏見は差別を生む」という言葉は、元菊池恵楓園所長の言葉です。物事を正しく理解することなくして人権問題は解決しないと思います。そこに図示していますように、何も知らないところに間違った情報が入ってきたら私たちはそれをそのまま受け入れてしまいます。そして間違った理解をしてしまいます。間違った理解が偏見を生みます。その偏見にマイナスイメージが加わると、差別意識が生まれ、その意識が行動として表れたものが差別事象です。ですから、人権教育指導法の在り方に明示してありますように、「正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動に移す」ことが人権問題解決に最も必要なことだと思います。
 時間が来ました。「恕」の心について触れて話を終わろうと思います。「恕」は「じょ」と読みます。論語に出てくる言葉です。ご存じの方もいらっしゃると思います。   
  子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。
  子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 意味は、
 「先生、私が先生の教えを守って生き続ければ人としての道を過たずに生きることができる、そんな一語があれば教えて下さい。」と、子貢問うたのに、
 孔子が答えました。
  「その字は恕。つまり相手の身になって思い・語り・行動することです。自分がして欲しくないことは人にしてはなりません。」と。
 「恕」の心、相手の身になって思い・語り・行動する優しさを持ち続け、みんなが幸せを実感できる人権尊重社会実現のため行動されることを祈念して終わります。
 ご静聴ありがとうございました。